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長かった残暑もどこへやら。やっとのこと秋めいた風の吹く朝を迎えた、霜月こと十一月の初め。今時ならばそこここに散らばっているはずな落ち葉の1枚もないまま、それは丁寧に掃き清められた遊歩道が、そちらも手を尽くして手入れされた芝の前庭を横切って、厳格そうな、それでいてそこはかとなく優しい佇まいも染ませた古風な校舎へと続く。途中に設けられたマリア像のゆかしき雰囲気そのままに、行き交う女生徒らが次々と、優雅にお膝を曲げて会釈するという、礼儀にのっとったご挨拶を向けて来て。古風なデザインのセーラー服の、微妙に重たげなスカートを、だからこそ叔然と捌いて振る舞う立ち居の麗しさへと。今はもう滅多には見受けられぬと嘆くむきの多かりし、やまとおとめの叔やかさを久々に見ましたと言わんばかり、感に堪えての吐息をつくお人もあるほどで。
「ようこそおいでくださりました。」
学園祭の1日目は、理事長を始めとする学園の経営陣というフロント関係の方々や、創設にかかわった関係筋のお家の方々、卒業なさったその後も、何くれとなくご支援下さる支持者の方々をお招きする、来賓優待日という特別な公開日。大貴賓室にての開幕の儀があって、講堂のほうでの公演が幾つか披露され、ご歓談を楽しまれる昼食会が催されてのちは、自由解散という流れ。懐かしい構内を散策されるもよし、伝手がおありな部の部室や展示会場へ向かわれるもよしで。ただし、校舎のあちこちは模擬店などへの準備中の箇所もありますのでと、来賓様には原則 立ち入り禁止になっているため。そちらでは…雄々しくも腕まくりをしていようと、体操服姿になっての片足で踏み付けて固定したベニヤ板を、勇ましくもノコギリで裁断に取り掛かっていようと、一向に構いはしないのだけれども。(おいおい) そちらとは一線を画した表側、大事な大事な来賓の皆様をお迎えするのは、例年だったら生徒会や執行部の皆様だったのだけれども。来客がまずはと訪ねる正面玄関の、すぐ傍らに設けた受付クロークに就いていたのが、そりゃあ清楚な麗しさをたたえた金髪の美少女で。陽をそのまま梳き込んだような、さらさらした金絲を濃色の制服が包む細い肩へとすべらせて。淡い緋色が霞むように散った頬を別にし、額や手指の肌も透けるような白さであることといい、どこか外国の方かしらと思わぬでもない風貌ながら、だが、面差しには はんなりとした優しさと玲瓏とした冴えが同居する、恐らくは日本人に間違いのないやまとなでしこ、今年度の剣道部部長、二年の草野さんが務めておいで。
「こちらへ御記帳、お願いできますか?」
白い布を敷いた長いテーブルの上、広げられた帳面を指し示す、揃えられた指先も美しく。やわらかな微笑みと伸びやかなお声でのご案内へ、学園の揺るがぬ清かな麗しさを見たようでと、来客の皆様の頬も思わずの笑みに緩んでおいで。そのまま進んだ玄関先、低い段差の框を上がり、進むは懐かしい校舎内。歴史ある学校ゆえ、校内も今時のそれのように隅々まで明るいとは言えずではあるが、秋の陽のかげりがたゆたうような一角などは、逆に今では得難い鄙びた空気を醸していて趣き深く。ゆかしい風情もしっとりと心地よい、濃色した板張りのお廊下を進みつつ。
「昔と同じですね、鏡のように磨かれて。」
「そうそう、磨きが足りずに曇ってしまうと、
シスターから何度でもやり直しと言われたものです。」
かつては自分たちがいたそこここを、懐かしみつつ眺めやるご婦人方が、それもやはりかつては着ていた制服姿の少女に導かれ。どうぞと案内された先、重たいドアを開けば、大窓からの陽が目映いほど飛び込んで来て。突然 彩度を増した視野の中、庭の楓がまるで一幅の絵のように佇むのが望めるそこは、待ち合いを兼ねた来賓室であり。こちらでもまた数人の女生徒たちが、お茶やお菓子を供するためにと、手際よく、だがだが品よく立ち働いておいで。お越しの方々へ革張りのスツールやソファーをお勧めし、傍らの卓へとお茶とお茶菓子を運ぶ係は、今年は茶道部と美術部が担当しておいでだとかで。どのお嬢さんも楚々として嫋やかな令嬢ぞろいだが、中でも眸を引くのは、明るい赤毛を、だがしっとりと光らせた、小柄な愛くるしい美少女で。
「八百萬屋の、はちみつ饅頭と薄荷煎餅でございます。」
無地の漆黒、塗りの菓子皿に取り分けられたは、赤子の拳ほどのやや俵型をした小麦色の饅頭と、八ツ橋風の薄い焼き煎餅が数枚と。饅頭のほうは、しっとりとした側生地の中には白餡がぽてりと詰められてあり、やさしい甘さが嬉しい懐かしさ。焼き煎餅のほうは軽い口当たりがする薄い玉子煎餅だが、薄さのせいでくどくなく、しかもほのかな薄荷の風味が利いており。丁寧に煎れられたお茶によく合っていて、押し付けがましくないところが逆に後を引くほどの逸品。
「さすがは五郎兵衛さんですね。」
「あら、片山さんてそんなお名前でしたの?」
「ええ。私たち、ゴロさんゴロさんて呼ばせていただいておりました。」
罪のない立ち話と判っちゃあいるが、それでもやはり。こちらの女学園のOGなだけあって、どちら様も上品で尚且つ闊達そうな、芯のしっかりとしていそうな、魅力あふれる熟女の皆様ばかりなもんだから。
“…せめてくっだらない有閑マダムとかなら、腐すことで溜飲も下がるのに。”
ああいや、待て待て。そんなくっだらない女に褒めそやされるゴロさんってのも何か腹が立つしなぁ。これほどの品格あふれるお姉様がたに慕われてるってのは、ゴロさんがいかに素晴らしいかの物差しでもあるのだし…っていうのは、シチさんに言われたお言葉でしたっけね、と。頑張って頭を冷やしておいでのひなげしさんで。何でまた選りにも選ってこの私がこういうポジションに放り込まれるかなと、心の中は随分な混乱中。それというのも、茶道部の方々から今日いきなり助っ人を頼まれたという突発的な運びであり。
『ごめんなさいっ。どうしても人手が足りなくてっ。』
人手不足はどちらも同じか、何とか間に合った展示物の設置にと、早めに出て来ていた三人娘の姿を見て、天の助けと飛びついて来たのが茶道部の部長。急な寒さの到来に風邪をこじらせた部員が続出したらしく。寝込むほどじゃあないらしい子もいたけれど、お鼻をずるずる言わせての接客というのは少々問題かも知れず。そんなこんなで健常な部員だけと限ったところが、全くの全然足りてないと来たもんで。堅苦しい作法は問いません、なんならお湯を補給する係を担当くださっても…と。どれほど人手が足りないかを忍ばせる、切なるご要望なれど、
『でも、アタシは玄関前の受付を振られておりますし。』
『………………。』
『そうそう。久蔵はこのまま斉唱の発表への準備に入るそうですし。』
というワケで。あんまりゴネてた天罰かしらねと、事情を知ってるお友達とも別れての、ある意味一人で、嫉妬の対象だった熟女の皆様のお世話を焼かにゃあならなくなった身の上へ、内心で随分と深く溜息つきまくりな平八だったそうではあるが。
『そうは見えなかったところが物凄い。』
『……。(頷、頷)』
そりゃあにこやかに、しかも丁寧にと。行き届いたお世話をしていたヘイさんだったよと、手が空いてからひょいと覗きに来た七郎次や久蔵が、しみじみ感心していたらしかったものの。…作り笑いの天才でもありますしねぇ。(苦笑)
【 公演の準備が整いました。
来賓の皆様は、講堂のほうへお集まりくださいませ。】
やがて、開幕としていた時刻と相なり。学園長と理事長からの簡単なご挨拶があってから、ホールや来賓室に飾られた絵画や生け花、書画などへ、皆様の注意が移りゆき。穏やかな談笑に沸いていて幾刻か。今日のメインでもある公演の発表が行われる旨の放送が入ったものだからと、皆様ぞろぞろと講堂の方へ移動なされて。
「……………………………………………ま・いっか。」
そこまでの時間を要しての今やっと、納得の心持ちがその胸へ降りて来た平八だったらしいところが、何とも穿っているといいますか。(苦笑) あとでシチさんと久蔵殿に、愚痴をいっぱい聞いてもらおう。何だったら、ゴロさんにぎゅうとくっついて憂さ晴らししたっていいのだし…と。後者のほうはゴロさんに大いに気の毒な、そんな想いを巡らせながら。後片付けのお手伝い、あちこちに置き去りになっているお茶椀を引き取りにと、お盆片手に歩き始めたひなげしさんだった。
◇◇
初日は何とか、破綻も苦情もないままに幕を下ろして。接客にあたった少女らの印象も、来賓だった皆様には殊の外に聞こえがよくて。身ごなしの嫋やかさが見事だったの、ほこりと暖まる笑顔が素敵だったのと、さすがは我らが後輩たちよとそこへ帰着させるためのお世辞も多少はあったやも知れぬが、それでも、だからこそ目端の利く皆様のお眼鏡にかなったお行儀だったということで。はたまた、
『演奏や舞踊の発表も素晴らしくて。』
コーラス部の斉唱に、吹奏楽の合奏、日本舞踊や演劇部のお芝居という、各種の発表公演も好評で。午後からのOG有志によるガールズバンドの公演へと流れたお客様がたからは、そちらの白熱した感想ばかりが聞かれたものの、
『コーラス部の清かな歌声と笑顔は、
毎年見ておりますが心洗われますわ。』
そのような嬉しいお声も聞かれ。伴奏役のお嬢さんがまた、天使のように可憐で綺麗でと。そうそう、見ほれてしまいましたわというお声も多数。しずしずと現れ、黙々と演奏しただけでそうまで注目を浴びていた、紅バラ様の存在感の物凄さよというところか。そんなこんなの、静かにして厳かな、来賓招待日が無事に幕を閉じ、その裏方では最後の仕上げだと、各クラスでの出し物への設営だの、模擬店では注文を受けたり商品をお出しする手際の練習といった打ち合わせなどなどが繰り広げられてもいて。
「あ、草野先輩。おそばとおうどんが届きました。」
「え? 何でまた、今日届いてるの?」
「え? でもでもぉ、学園祭は今日からですよねって電話で聞かれたので。」
「………………こらーっ。」
そういうアクシデントも、まま あったらしいが…………。2日目は全員にとってのいよいよの本番、父兄とOGの優待日だそうで。どちら様も頑張ってねというところかと。
そしてそして。
「…おお、勘兵衛殿か。
いい出来の甘味があるのだが、そちらまでお届けに上がろうか?」
もしかしてお忘れでなければいいのだが、女学園の学園祭がいよいよ始まってのと。店の車の運転席から、大きな手には隠れてしまうよな携帯で、警視庁にお勤めの誰か様とのご注進をしておいでの五郎兵衛さんで。自分には微妙に心苦しかった数日もやっと明け、さて次は誰の番かなといういたずら半分。シチさんには思わぬ遊撃隊からの援護射撃もあるようで。
【 ……久蔵からも呪咀のようなメールをもらっておるよ。】
行かねば八代あとまで祟られそうな勢いでな。見たければ来るとよいと、暗に今日はまだ暇だと言いたげなお返事であり。明後日もそうだといいのにねと。八百萬屋の屋号の端っこ、平八がこっそりと描き足したらしいてるてる坊主が、う〜んと微妙に眉をひそめていた昼下がりだった。
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